気づき
フィリピンで2カ月を過ごし様々なことを学んだ。
学んだことは具体的に文字にすることができない部分が多々あるけど
日本での日々の生活の中で
感性が変わっていると思う部分が多々ある。
それはやっぱり日本は日本であってフィリピンはフィリピンだったってことだよね。
むこうにいるときは日本が恋しくなったりしたのに、こっちに戻ってみるとフィリピンが恋しくなる。
やっぱり人間ないものねだり。
人がもってて自分がもってないものを見るとすぐほしくなる。
そんな自分に嫌気がさして
フィリピンで変わろうと思ったのに
やっぱり何も変わってない。
人は簡単には変われないね。
というより、変わらなくていい部分なのかもね。
この二カ月で
自分でほんとに変わったと思える部分と、変えようと思ったのに変えれなかった部分、変わることのない部分
いろんな自分に出会えた。
ほんとにフィリピンにいって心からよかったなと思える。
日本で仕事しててもやっぱりどこか息苦しさを覚える。
むこうで感じたことのない感情。
日本人は人生の一部を楽しんでるけど、フィリピン人は人生の全てを楽しんでいるように思えた。
こう思うのも自分が日本人だから?
それはわからない。これもまたないものねだりなのかもね。
それでも自分なりに人生は楽しまなきゃ損だって気づいた。
それからの自分はなんかけっこー自己中 笑
やっぱり人間自由気ままが一番楽しい 笑
あ、そうだ。
今日バイトで環境問題に論ずることがあった。
今までフィリピンですごしてきたけど、フィリピンの環境問題に対する知識はすごい低くて
まずは情報の提供からっていうのが当たり前だった。
だから向こうではinformっていう言葉がすごい大切に思えてた。
でも、今日その知識の伝達について論じたときに
日本ではもはやそんなこときれいごとでしかないと言われた。
そんなことしても意味がないと。
もしかしたら、フィリピンいく前の自分ってこういう考えをしていたのかもしれない。
日本人を中心に物事を見てきたから。
でもフィリピンという別世界に触れることで
日本の常識が覆された部分が多々ある。
環境問題についてもそう。
日本は少なくともフィリピンよりかは教育がすすんでいる。
それだけに環境問題について学校で触れる機会が多いと思う。
だから、知識の伝達なんてみんな知ってることを伝達してどうするの?っていう答えにいきついたのかもしれない。
でもこれってもしかしたら危ないことかも?
今まで学んできたことがもしかしたら間違いかもしれない。
もしかしたらあっているかもしれない。
自分で検証したわけじゃないから正確なことなんて言えないけど
今まで自分が習ってきたことだからって
正しいと決めつけてしまっている部分があると思う。
もしかしたらそれは古い知識かもしれないよ?
今は変わっているかもしれないよ?
でも日本人ってその先を知ろうとしない。
何事も行動するには知識が必要。
その知識が間違ってたらその行動も間違ってくる。
無知は罪だけど、知ることも罪だと思う。
もう何が言いたいのかわからないけど
とりあえず全世界それぞれ価値観が異なることを今日体験したよっていう話。
これもこの夏の経験のおかげかな。
それが成長なのか衰退なのかはわからないけど・・・・。笑