ナンセンス

今日はフィリピンイーグルに久しぶりにいってきた。

やはりやることはなく朝から箒で園内の掃除といったようになんとも愚問な時間をすごすはめに。

しかしその掃除の時間に今までの研修を一人振り返ることができて、結果てきには有意義な時間を過ごすことができた。

研修前の自分はなにかと理由を求めることからはじめていたが、理由を求めることなんてナンセンスなことなんだと気付かされた。

研修に参加した目的もDeforestationに携わる人々のその理由が知りたかったから。なぜ森林伐採がとまらないのか、その理由が知りたかったから。

でも理由を知ったところでどうなるんだろう?
理由なんて理由であって、それを知っても自分にはどうすることもできない。
研修前の自分の目的意識自体が陳腐なものだったことに、ここにきて気付かされた。


ボラカイに訪れて気づいたことは、自然を守る理由は、自然がきれいだから守る。ただそれだけでいい。
守るのに理由なんていらない、心からそう感じた。
あの時みたあの景色が、これからもずっと見ていられるよう、そのために自然を守る。
それだけの理由があれば自然を守ることに理由なんていらないんだと感じさせられた。

それに、人間の力なんてしれたもので、自然の前には全くといっていいほどかなわないこともしっかり実感できた。

ボラカイでは空、海、地上、すべての角度から様々な自然をみることができて、今まで自分が感じたことのない感情が湧きあがってきたとともに、自分の無力さ、人という存在のはかなさをしみじみと感じることができた。

今日は日本人のオーナーが経営するレストランでおじさんの話を聞くことができた。

日本人はみなフィリピン人が幸せじゃないと思っているけど、実際フィリピン人は彼らなりの生活を心の底から楽しんでいる。
自分の生活に幸せを感じていない日本人が自分の価値観の押しつけでフィリピン人を助けようとこの地に訪れてきている。
それ自体がなんかおかしなはなしだということに気付かされた。

フィリピンイーグルセンターにしても日本人が作るべきはUselessな建物なんかじゃなくて、ソーラーパネルなどのように今後役立つであろうものを作るべきところを、上は聞く耳持たずにただドネートすることに満足して終わっている。

ほんとに意味のある支援ってなんなんだろう?
ただただ全てがナンセンスに思える。

最近はいろいろと考えがうまれては考えが消えていく。
その中でなにか一つでも答えを見つけられる存在になれるのかなぁ・・・。